「村岡ダブルフルウルトラ
     ランニング参戦記」



 開催日前日、12時新大阪発のチャーターバスで、一路兵庫県美方郡香美町の村岡へと向かいました。 行きのバスは、最初のトイレ休憩までは爆睡し、その後お隣に座った方と話しながら14時過ぎには現地に到着しました。


  お隣の方は御年64歳の男性で、昨年はこの村岡100キロを13時間ちょっとで完走されたそうで、若いころは余裕でサブスリーランナーだったと言われる根っからのランナーでした。  さて「ダブルフルウルトラ」というレースの名前の由来は?と思われる方も多いでしょう。もともとは、このレースは44キロと88キロのコース設定で始まったそうで、つまり88キロの設定が44キロの「ダブル」なわけです。


 しかし44キロ自体フルマラソンの距離とも違うので、「ダブルフル」という言い方はかなりアバウトな感じです。その後100キロのコースが追加され、一般 的に100キロのレースを「ウルトラマラソン」と呼ぶのでこういうネーミングになったんだと思います。 公民館のようなところに到着し、受付を済ませ、16時半から18時前まで歓迎祭が催され、その後宿へと移動しました。


  相部屋になった方は、横浜から来られている40歳の男性で、体型的には長距離(?)といった感じでしたがお風呂で話していると村岡は今回が8回目で、萩往還(240キロ!)にも出場経験ありだそうでした。ただご本人曰く「練習が嫌いで、とにかくレースで月間走行距離を稼いでいます。ウルトラは完走が目的です」とのことでした。 20時半ごろ明かりも消して就寝しましたが、なかなか寝付けず気づいたら3時前の起床時間になっていました。


  朝食後、宿の車でスタート地点まで連れて行ってもらい、ストレッチや置いてあるお茶なんかを飲んで待ちました。そして5時ジャストにスタートしました。


  ラップは、下の通りで相変わらず最初の10キロ地点を見落としています。最初の10キロは、村岡町内の商店街やなんかを走るため平地でしたが、すぐに起伏のある地形となりました。それでもフルマラソンの距離くらいまでは、まあまあのペースを保っていましたが、44キロあたりからおよそ8キロ弱延々とキツイ登りが続き、結局標高1,000メートル超の蘇部岳を登り切りました。


  さすがに全部走るのは無理で1/3くらいは歩きました。ここから今までの「貯金」を使い始め、その後どんどん失っていったわけです。登った分は当然下るわけですが、下るのも結構きつく太腿へのダメージがどんどん増していきます。


  60キロ過ぎるあたりから、歩いている44キロの方々と合流し始め、結構皆さんエールを送ってくださりうれしかったです。地元の方々(主におばあちゃん)が、旗を振って応援してくださり、中には名前を呼んでくださる方もいて、本当に励まされました。 蘇部岳以降二つ目の大きな峠を超えている時、コース図自体把握していなかったので、あといくつ登りがあるのかわからず、「これは10時間台、無理やなぁ」と思っていましたが、三つ目が最後の峠でいよいよラスト5キロ強の下りになりました。


  コース図をあとから見返して三つって言っているのですが、実際は起伏が激しくいくつ登りがあったのかさっぱりわかりません。でも、ここからキロ6分で走れば、前回の大阪100キロの記録を更新できると思い、もう必死でした。ゴールが見えてからの沿道の声援はもう半端無く大きく、もう大感動でゴール後不覚にも少し涙が出てしまい、いただいたフィニッシャーがもらえるタオルが大変役立ちました。



  着替えて、サービスの豚汁、但馬牛の焼肉を食べ、近くの温泉まで送迎していただき汗を流し日本屈指の山岳マラソンの余韻に浸っておりました。 この時点で17時前、バスは19時半出発なので、お土産を買うところがないかスタッフジャンパーを着たおじさんに尋ねると1キロほど先に村岡ファームというところがあって、そこで買えますよとのこと。


  1キロを歩いて移動するのはもう無理なので諦めようと思っていたら、「私は世話役で、もうなんにもすることないんで送ってあげますよ」といって下さる。わるいのでいいですと固辞したが、どうぞどうぞということでお言葉に甘えて、連れて行っていただきました。


  車中話していると、この村岡ダブルフルを12年前にスタートさせたときの発起人のお一人だとかで、「来年来られるのなら、是非ウチへ泊まってください」と名刺までいただきました。

  なんだかすごくいい大会で、来年も是非参加したいと思いました。


  一日経った翌日9月28日、午前中は行き付けの鍼灸院まで1.5キロゆっくりと(ってスピードは出せません)走って行き診てもらい、取りあえず大きな故障はないことを確認し安心しました。


  左足親指に大きな水疱ができていて、これを庇って走ったせいか左足へのダメージが今回大きかったです。今日は、足も上がり普通 に歩けていますので、明日はもっと回復していることに期待したいと思います。 長々と失礼しました。

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  最初の方にも一度書きましたが、この年齢になっても、わずかずつなんですが、記録が伸びていくというのがおもしろいですね。 ただ、当然のことなんですが、走り始めて体重がどんどん減って行き、今は佐々木ゼミに入れていただいた頃の体重よりも少なくなってしまいました。数年ぶりに会う方々は大抵驚き、中には気を使ってくれて、何にも聞いてこない人もいるのですが、その都度説明させてもらっています。


  飽き性の私ですが、この走ることはなんだか続いていくような気がしています。

  もし走られている方が佐々木ゼミOBでいらっしゃったら、是非ご連絡下さい。一緒にレースに参戦しましょう。

【自己記録】
※フルマラソン 3時間20分20秒・ 2009年11月1日現在
ハーフマラソン 1時間30分27秒
10キロレース   43分50秒

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「村岡ダブルフルウルトラランニング」
ラップタイム
0〜11 11Km 1:00‘00“ 
5’27”/キロ

11〜20  9Km 0:53‘12“ 
5’55”/キロ

20〜31 11Km0:58‘55“
5’21”/キロ

31〜40  9Km0:53‘39“ 
5’58”/キロ

40〜50 10Km1:17‘48“ 
7’47”/キロ

50〜60 10Km1:10‘56“  
7’05”/キロ

60〜70 10Km1:06‘36“  
6’40”/キロ

70〜80 10Km1:20‘44“  
8’04”/キロ

80〜90 10Km1:03‘11“ 
6’19”/キロ

90〜95  5Km0:39‘41“  
7’56”/キロ

95〜100 5Km0:28‘45“  
5’45”/キロ

ネットタイム10時間53分29秒
(6’32“/km)
総合順位24位(293人中)
順位22位/271人中



佐々木ゼミ16期生 圓山和久



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