佐々木ゼミに私が入った理由は、先生のお許しを得たからですが、私の目から見て「面 白そう」だったからです。佐々木先生が講師から助教授になられ、初めてゼミを持たれた昭和43(1968)年のことでした。


 私は新し好きな性格で、未知な領域に挑戦する積極果敢な面を持っている様です。これが良い方に発揮されると目覚ましい結果 を出しますが、そうでない場合には方向を見失ったり、我流に凝り固まる傾向があります。


 幸い佐々木ゼミ1期生は8名で、先生の目が行き届き、張り切っておられた先生からミシガン大学流と思われる分厚い英語の実験論文を輪番で読解することを義務づけられ、皆の前で発表させられました。大人数の他ゼミ生から「そんなに勉強させられて大変だね。」と言われましたが、私は充実感が先に立って同意しませんでした。


  佐々木先生から教わった集団力学の手法は自然科学的でした。ある現象の原因を仮定し(Plan)、正しいか検証し(Do)、予想したとおりにならなかったら(Check)、異なる仮定を立ててもう一度検証する(Action)方式でした。これが今日まで私の思考様式の基本となりました。当時は学生運動が激しく社会学部も封鎖されるなど荒れましたが、佐々
木先生と共に嵐を避けて遂に私は学生運動には同調しませんでした。    


 昭和45年(1970年)東レ(株)に入社しましたが、関西私学からの新入社員は99名(技術系62名、事務系37名)中私一人でした。前年5月東京日本橋の本社で入社試験を受け、2日目の役員面 接に於いて「大学で何を学んだのか。」を問われた時に集団力学を説明し、卒論は「集団の規範が成員に及ぼす影響の研究」であり、地元の中学校で実験した手法を話して役員から感心されたのが採用の決め手になったと思っています。


 12年半東レ(株)本社に在籍した後米国デュポン社との50対50出資の合弁会社に出向して現在まで27年半働いています。会社生活の前半28年間はプラスチック、特に機能樹脂の営業、後半の11年間は原料購買を担当して現在に至りました。私が入社した頃のプラスチックは東レ全社売り上げの3%を占めるに過ぎませんでしたが、この40年間で30%を越える迄になりました。軽薄短小の時代要求を担って金属からプラへの材料革命を実践したのです。


 営業の仕事はいずれの会社にても当初は新規事業で、新し好きの私に向いており、特に合弁会社の初期には米国人の上司の下で働いて、日米の事業の見方、仕事の進め方、労働観、家族への接し方に当方と随分違いが有ることに驚かされました。  購買に移ってからも、先輩がやって来た方式に疑問を持ち、次々に旧式を改めて、透明性が高く、速く楽で実績が上がる様にして行きました。


 40年間の会社生活の基底には、佐々木先生から学んだPMDAが脈々と流れています。東レやデュポンの研修でもPMDAの精神を教わりましたが、こちらが講師に教えてやりたい位 でした。挑戦する課題を設定し、きっと成功する方法を試し、うまく行かない時には新式を試して、結果 を記録して積み重ねて来ました。これが同じ事を2度しない佐々木ゼミ方式でした。


 私の会社生活もそろそろ終幕が迫って来ています。多くの同期生が既に退職しています。人生は30年区切りだと私は思っていて、最初は建設期、次は発展期、最後は安定期です。最後の30年間を如何に生きるかを現在思案していますが、少なくとも判然しているのは、佐々木先生直伝のPMDAを武器に、未知なる次の30年間に喜び勇んで飛び込んで行くことです。


 1期生のページ

 



佐々木ゼミ1期生 鷹野久遠
 

最終がぼるトップに戻るがぼるnetに戻る

©Paradiso co.,ltd.2009  大切な佐々木ゼミの歴史です、取り扱いにはご注意を。無断転載を禁じます。2010年7月6日