二十年間の沈黙を破り、今ここに教育の現実を暴露します。ショッキングな場面 が出てきても決して目をそむけないでください。


給食について語る

 わたしは給食が嫌いである。特にパンが苦手で、いつもパンにおかずをはさむのである。焼きそばパン、から揚げパン、ハンバーグパン、鯵パン、スイートポテトパン・・・など。しかし、これには問題がある。学校では、「三角食べ」が推奨されているのである。「三角食べ」とは、1おかずを食べる2パンを食べる3牛乳を飲む・・・という食べ方を繰り返すのである。わたしがパンにおかずをはさんでしまうと「直線食べ」になってしまうのである。わたしは子どもたちに正しい道を教えなければならない立場にあるにもかかわらず、道を踏み外した極道なのである。  


 さらにその中でも、わたしのお気に入りは、フルーツパンである。ミカン、パイナップル、黄桃、時には白玉 が、甘いシロップとパンの香りとからまりあって、素晴らしいハーモニーを作り出すのである。しかし、これにも問題がある。フルーツつまりデザートは一番最後に食べなければならないというルールがあるのである。わたしは教師の身でありながら、二重に法を犯しているのである。きょうもわたしは、子どもたちの冷ややかな視線を感じながら、隠すようにしてパンにおかずをはさむのである。


教育の世界の恐ろしいほどの
高齢化について語る


 少子化が進み、教員採用が控えられるようになって久しい。その結果 、学校には若い先生が皆無なのである。わたしなど、もういい年になっているのもかかわらず、若手なのである。いつまでたっても若手なのである。二十年間ずっと若手なのである。だから何でも藤井先生お願いで、お願いされるのである。


ふしぎな子について語る  

その一・・・椅子の背もたれと座板の間にもぐりこみ、一時間抜けなかった子。  

その二・・・給食に出てきたミカンを一つずつばらして、おはしに刺し、「焼き鳥!」と言って自慢する六年生。  

その三・・・放課後、おにごっこをしていて、疲れてしまったのか、教室の片隅で休んでいて、そのまま眠ってしまい、夜になって巡回の警備員に見つけ出された六年生。  

その四・・・休み時間に子どもたちと会話をしていた。突然ある子どもが、「お母さんのいつもの口づけや!」と言った。
「えーーーーーっ!」
「うっそーー」その場は騒然となった。しかし、わたしは『こんな風に、母親の愛情を受けている子もいるんだ。』と考えさせられた。そこでその子どもがみんなの嘲笑を受けないように、その場を収めた。しかし、なにかひっかかる。わたしは、その時の会話を思い返してみた。
・・・・・・・子ども「せんせい、きょうのしゅくだいおおい?」
・・・わたし「あたり前田のクラッカー!」
・・・・・・・そうか!と思った時、さきほどの子どもがはずかしそうに、こちらにやってきたのだった。

 ちなみに、わたしの教室での口ぐせは「あたり前田のクラッカー」と「インド人もびっっっくり」だが、全然うけない。  


藤井を斬る  

「あれ、今回の藤井君の原稿には、下ネタが入ってないじゃないの?」とお嘆きの貴兄に、教師生命をかけた、とっておきのお話をいたしましょう。(実話です。)  わたしはよく酒を飲みにいきます。お酒を飲んだ時、紅しょうがを顔一面 まぶしたように真っ赤になります。見事なくらい真っ赤です。見事なくらいに真っ赤になった顔を見たいかたは、メールでご連絡ください。そしてその後、酔い覚ましにフラッペ、アイスクリーム、アイスコーヒーなどを食そうものなら、わたしの顔は、鼻から上は真っ赤、鼻から下は真っ白の二色刷りが楽しめるのです。二色刷りを見たいかたは、メールでご連絡ください。わたしは、酔いを覚ますべく、夜の街をあるきます。


 ある日のことです。しこたま飲んだ後、時計を見ると地下鉄がなくなっていました。玉 出まで歩く元気がなかったので、環状線で天王寺まで行き、そこから歩くことにしました。人気のない寂しい道、わたしの足は、知らず知らずのうちに早まっていきました。これがいけなかったのです。リズミカルな振動が腸に刺激を与え、便意を催すにいたったのです。天王寺からあの梅川事件で有名になった三菱銀行を尻目に帝塚山にさしかかったぐらいから、猛烈な便意が周期的にわたしを襲ってきます。


 それでも、「大丈夫だ、君は強いんだ。」「前にこんなことがあったが、いつも乗り越えてきたじゃないか。」と自分に言い聞かせながら、内股でおしりの筋肉を締め付けるように、一歩また一歩と歩いていきました。背中はゾクゾクし、額からは冷や汗がでてきました。もう我慢の限界に達していました。わたしはついに、帝塚山高級住宅街のどまん中で、用を足す決心をしました。


 しかし、もう時間的余裕はまったくありません。道路わきの茂みに座るが早いか1,2,3(しゃがむ、用を足す、立つ・・・その間3秒フラット)のタイミングで用を足したのです。、もうわたしの足はまるでなにもなかったように帰路にむかっていたのです。今思い出しても、恐ろしいほどの早業です。

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佐々木ゼミ10期生 藤井 栄次  10期生のページ

 
 

 

 



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