13期生 阪口正己
 

香港での生活について

  1995年12月より2002年2月まで6年2ヶ月、香港で生活しておりました。 その当時のことを忘れる前に、文章にしておくのもいいかなと思い、書いておりま す。


香港人

  彼らは、中国人と呼ばれるのはあまり好まないようです。香港人は文明人で、Main land China中華人民共和国の人間は野蛮人で、異なる人種と考えているところがあり ます。 ところが、殊、歴史認識となると中国4000年の歴史を持ち出し、中国人の輝かしい国 民性をアピールするのです。基本的に都合のいい方々です。 香港人のすばらしいところは、サバイバルな人々だということ。
  もともと、香港はアヘン戦争(1840〜42年)前は、小さな漁村で人もほとんど住んで いなかったのですが、イギリスの植民地として発展、特に1960年代の中国の文化大革 命当時、中国国内で、資本家、知識人等が弾圧され、上海等より命からがら香港へ逃 げてきた人々が大勢おり、当然、サバイバルな人々なわけです。

  彼らは、国家を信用しておらず、お金のみ信奉している観があります。中国の文化大 革命は、国家に反逆するものは、すべて処刑されてきたわけで、現在の北朝鮮と基本 的に同じと思われます。 そういう人たちに国家を信用しろ、と言うのも無理だと思います。
  私は、現地人約400名程度の当地の信用金庫のような小さな銀行(旧米国資本の銀 行)の管理をしておりましたが、最終的に2000年3月の銀行の海外撤退方針により全 員解雇せざるを得ない恐ろしい状況に追い込まれたのですが、きちんと法律に沿っ て、支払うものを支払えば、特に吊るし上げに会うこともなく、整斉と手続きができ たわけであります。
  彼らも転職は当たり前のことで、首になったからといって、ふて腐れる訳でもなく、 すぐに次の職探しを始めておりました。ともかくいつも明るく元気で前向きな生き方 をしていると思います。 日本人もこういう点は、見習うべきかと思います。
  もちろん、日本はまだまだ転職のための社会環境が未整備なので、簡単に論じること はできないのですが。 最近、就職難等により、経済的理由で自殺する日本人が多いのですが、自殺する前に 香港人を見にいくことをお勧めします。
  もっとも自殺する人は、既に自分を客観的に 見ることができなくなっているわけで、無理なことを申し上げているのでしょうが。 ともかく、私も香港人を見て、いつも元気をもらっていたと思います。



広東語について

  広東語は、中国の広州周辺で使われている口語です。口語であり、文字はありませ ん。 発音も普通話・マンダリンという中国の共通語と全く違います。
  香港人も1997年の中国返還前後から共通語のマンダリンに力を入れて勉強しているよ うですが、普通の人は、広東語のみで生活をしています。 私が香港へ行ったころ(返還の2年前)は、マンダリンを街で聞くことは、少なかっ たのですが、返還後2〜3年で急にマンダリンが、あちこちで聞こえるようになって きました。
  大勢の中国人が香港に流入してきています。確実に香港は中国化されていると感じま した。 とは言っても、広東語が廃れたわけではなく、香港魂は、広東語に隠されていると思 います。初めて広東語を聞いた人は、喧嘩をしているのと勘違いするようです。
  私も最初の頃、ミニバスという乗り物で、自分の降りたい場所を叫ぶ必要があるので すが、声が小さく、発音も下手とあって、バスの運転手に無視されることが多く、そ の次の止まり場所まで行ってしまい、歩いて戻らなければならないこともありまし た。
  広東語の学校に通い、ある程度発音にも自信ができて初めて大きな声で「どこどこで 下ろしてください」と言え、自分の好きなところでミニバスを降りれるようになった 次第であります。 広東語を勉強していて、いろいろ面白いことに気がつきます。

  日本で人を呼ぶとき、誰々さんとさんをつけますが、このさんとは、いったいなんで しょうか? 
  私の会社の香港人は私のことを、SAKAGUCHI−SANと呼んで います。 日本人に敬意を表して日本語のさんを使っているのかと思っておりましたが、実際は 広東語でSANというのは、Mr.の意味とのこと。 アグネス チャン(陳美齢)は 陳先生(CHAN SHIN SAN)と呼ぶますが、阪口生 (BAN HAU SAN)と呼びます。
  名前の音節が長くなると、先生が、生だけに省略され ます。 日本語のさんが、中国語から来ていると驚いたわけですが、この関係について学術的 な裏ずけは、何も取っておりませんので、間違いであるかも知れません。
  しかし、日本人が中国の漢の時代の中国語を輸入して、漢字を使用していること、中 国国内でも、その当時の中国語は、広州等中国南部に残っていること、等を考えると 私の考えもそれ程、間違いではないのかと思います。
  ちなみに、中国の北部は宋の時代に、北方民族により占領され、過去の中国語は南宋 に残りました。清の時代は、中国北方の満州族が中国を統治したため、過去の中国語 はますます南に追いやられ、広州周辺・香港に残ったわけです。現代の中国語の共通 語は、北京で使われているマンダリンはマンチュリア満州の中国語ということ になります。

  日本語の漢字と広東語とは、かなり親戚関係にあるようです。 日本で、中国語というとマンダリンのことを指さしますが、中国では地方ごとに言葉 がかなり違い、方言というより、全く別の言語と考えたほうがいいと思われます。
  香 港の中でも、いろいろな地域の出身者がおり、潮州料理で有名な潮州人の言葉は、普 通の香港人には、全く通じない。香港の金融街、中環(セントラル)地区のすぐ隣に 上環(ションワン) という地域があり、この潮州人がたくさん住んでいる、ここの町の銀行の支店長をど うするか、協議していたところ、結局この街は潮州人の支店長をおかないと仕事にな らないことが、わかってくるわけです。

  中国人どうしでも、ことばが通じないわけで、こういう時、香港では、もう一つの共 通語、英語が重宝するわけです。日本はだいたいどこへ行っても日本語(共通 語)で ことたるわけで、これはすばらしいことです。 私の息子の友達で、インド人家族ともお付き合いがありましたが、インドも同じ状態 で、地域ごとに異なる言語を使用していることから、やはり共通 語は、英語を使用し ているとのことでした。
  また、私が広東語を勉強していたBritish Council というところは、英語で広東語を 教えてくれるところで、世界中の国の方々が、広東語の勉強にきており、いろんな情 報が、入ってきました。 そのひとつに、ベトナム人から教えてもらったのですが、広東語とベトナム語は、兄 弟のようなことばで、非常に似ているようです。

  昔、ベトナムは越南地方と呼ばれ、 中国の属国として強く影響を受けていたためと思われます。 また、香港の広東語と広州で使用されている広東語も異なるとのことでした。香港で は、広東語と言っても、よく聞いているとあちこちに広東語化した英語が混 じっており、香港人の英語が聞き取れる人には、香港人の広東語も2〜3割は理解でき るのです。
  やたらとカタカナ語を使いたがる日本人と似ているのかも知れません。広州の人は、 外来語をあまり知らないので、昔ながらの広東語を使用しています。生活環境の差が 言葉に反映しているのでしょう。


→つづく

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佐々木ゼミ13期生 阪口正己

 
 

 

 
 
 
 

 

 



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