2009年10月吉日



  実験実習、ゼミの勉強、そのほかの講義、クラブ活動とそれにともなう会議やらと、月曜日から土曜日までびっしりキャンパスにいた。夜は予備校でアルバイト生活。
だから少しでも佐々木ゼミに居る時間を少なくしようと学生時代はしていた。佐々木ゼミにとっては迷惑な自分勝手なゼミ生のひとりであった。奥村旅館も、奥村さんも学生時代は知らなかった。佐々木ゼミのイベントに関して、なんだかお客さんだった気がする。そんなボクが大学を卒業?し、その後佐々木ゼミにどうしてめざめたかを書かせていただき編集後記とさせて頂きたいとおもいます。

____勉強以外の佐々木ゼミイベントはパス、コンパも出た記憶が実はない。そんないけずな人間がなんで佐々木ゼミにメザメタノカ。今にして思えば、ゼミ委員をはじめみんなに迷惑をかけていたようだ。「クラブと勉強、時間ある?」とまわりから言われていた。ちゃんと関数電卓叩きまくって、必死でレポート書いてました、クラブの部室や他の大学の夜遅くまで開いている図書館で。

 よく学生時代に「総部がそんなにえらいんかぇ」と言われた。その人たちによく聞いていたのが次の質問。
1.各クラブや同好会にいたるまで、学友費と言って学生から関西学院に入金しているモノを分配する組織は?そしてそのお金をちゃんと使ったか、監査する集団はどこからきてる?
2.大学祭は大学の課外活動課がやってくれるものではない。学生自治組織がおこなっている。高校でも生徒が自主的に学園祭をおこなう学校もありますよね。多少なりともお金は動きますよね、それどうやって管理してる?

 総部だけではなく各クラブもそうだが選挙管理委員会から財務管理委員会やらなんやらと、数多くの大学クラブ運営組織に時間をとられる。実は見えないところで、人のために無償で動いている人が居るということ。まぁこれを社会でみると、ほんとは公務員はそういうこころもちで働かなくてはいけないのに、自分たちの食いぶちと利権だけのために働いているようにみえるから、日本もおかしくなったんとちゃうの。


 1回生のとき、学生生協の会議の中で領家教授に「ここに嫌々来る人も居るでしょう。だけど毎日関学でめしは食ってる、だれが作る?だれかがやらなければ学生生協だって運営されない、マスタリーフォーサービス」と。そうか「マスタリーフォーサービス」の精神だけでも勉強したろとその時めざめたのだ。
  そして、ベルトにいわいつけた温泉タオルで手を拭くのである。そしてバナナを僕たちに配る。 「まるで親猿が小猿の僕らにえさくれるみたいやなぁ」とある学生が言った。言いえてみょうに納得した。
「こうあるべきだ。だから文句言わずにこうしろ」と言うのが間違ったリーダーの猿。
「あなたには今は見えないがこういうことがある、それを自分の頭で考えて動いてみないか」とわからせるのがリーダーなんだろうなぁとこの親猿から教えられた。同じ事を佐々木先生からも教わった。


 1980年代まで、ある世代がぶっつぶした秩序、そのために大学側は6時で大学構内に入れなくしたりしていた、これ「ロックアウト」といいます。まだ学生が一致団結することを、各大学ともきらいました。ですから例えば関学と関大の交流試合にしても、運営はたいそうな時間がかかっていると聞いたことがあります。またクラブごとの他の大学との交流なんて、1980年代は大学側、当時は大学当局とよばれていた、大学当局からは群れるのが嫌われていたものです。


  私はそのつながりを作ろうと各大学をまわり、女子大の課外活動担当の教授や学長さんまで出てきてお話したことがありました。各大学間で集まる場所に困窮していた時代。その女子大学は理解が有り、各大学の代表者会議が開かれる様に大学の大会議室を貸してくださった。印象的だったのは会議の終わった夜、キャンパス歩いてるとパイプオルガンの音色が聞えてきたこと。この女子大は自由なんやと。「言論集会の自由」なんて言いますが、集会するにも会議室ひとつ借りるのがたいへんだった時代もあるのです。



 実験実習し終わったら何時になります?金曜日の夜ですよね、それから本を観て考えなぁあかん。だから図書館へ本借りに行こうとおもっても、当時は図書館6時で閉まってます。心理学のゼミのみなさんならよくわかる。しかたないからトップの喫茶店へ行く。議論する場所、会議する場所が無かった時代です、だから喫茶店が流行った。今から考えればおかしな時代です。おまえらグループ研究しろと言っておきながら、図書館は6時に閉まる、集まって討論する場も勉強する実習室や自習室もない。今の時代なら、そんな大学魅力ないですよね。


  CODカードに投書して、問題提起。「図書館をせめて8時まで開けて欲しい、勉強したい」とコブシをあげた斎藤さん、いまや教授ですが。それを14期生みんなで後押し。宗教総部をはじめ、体育会総部、そして総部放送局とたいそなクラブ活動をしている連中、クラブで部長をしているなどの逸材と自治に熱心な熱血漢がおりました。私はこの件で、当時の久山学院長に直談判しました。いち学生でも出来るのです。


 世の中をかえるなんてたいそうな力なんて要りません。講義が6時過ぎまであるのに6時で図書館終わってた、これはみんなが困ることなんや。時計台のエントランスで語らってた恋人たちも6時前に追い払われる。神戸女学院の女の子と6時半に図書館で待ち合わせしたボクの友達は、えらい目にあった話しをしてくれました。当時はケータイもなかった。彼はまさか6時で図書館が閉まるなんてほんとに知らなかった。

 今ある自由なキャンパスも実はオープンでない時代もあった。それをなんとかしようと考えてた人が居るから、いまの自由があることをひとりでもええから気に留めておいて欲しい。時代は続いているのだと、それを繋ぐのも切るのも人なんだと。

  今なら図書館は市立の町の図書館でも夜遅くまでやっている。ただ、遅くまで働くのはバイト、これが時代を経て世帯主なのに安い派遣労働者にかわる。階層を作りだし、その間の交流は遮断する。正規職員は組合でまもられてええ給与となったのが今の日本を悪くしている要因なんでしょうけれど。あたりまえの事が当たり前でなくなる日。いつかは今の常識も非常識に変わる日が必ずくる。人とひととは繋がりあうのが自然の摂理。だれかがおかしいとおもったことは改善される。


  ホンマ時代は良い方へと変わって行くのがふつうです。

 あなたの身のまわりもすこし良い方向へかえてみようじゃありませんか。


 

 
 

 



















写真は14期生の大山でのゼミ合宿。
撮影は当時なぜか「しぇんしぇい」と言われていた津乗先生。




 
 




©Paradiso co.,ltd.2009  大切な佐々木ゼミの歴史です、取り扱いにはご注意を。無断転載を禁じます。 2011年1月3日