「集団力学と私1」関西学院大学佐々木薫教授最終講義2003.1.22
2003.1.22(wed)関西学院大学第2時限10:50-12:20、B204号教室で
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7集合写 真
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「35年間正確には36年間になるんですけれど、もうそんなになったのかと。ここに立って、もうそんな時がやって来たのかと言うのが実感です。先程からのどが渇いてしょうがないのですが・・
今日は関西学院の同僚の先生方、ゼミの卒業生、昼間の都合のつきにくい時間にたくさん集まっていただいてほんとうに感謝しております。
今日お配りしておりますプリントは、時間が余って手持ちぶさたというのは格好悪いので、余分に用意しておりまして。おそらく私のこれまでの経験からではこんなにたくさんは喋れないだろうと思います。全部は喋れないと思います、あらかじめご了承ください。
まず最初に集団力学に出会うまで。集団力学という言葉は私にはあたり前になっておりますが、一般 的にはあまりなじみがないものだと思いますが、グループダイナミックスが一般 的ではと。
次にそのグループダイナミックスに私が出会うまでのお話と。集団力学と言いなが色々な事をやりましたけれど、基本的には集団規範的なことに研究が集中した、そしてフルブライト留学でのこと、そんなことをお話ししたいと。
そして最終的には集団規範の研究というのが学位論文(集団規範の実証的研究)、学位 をいただいたのが1999年2月なのですが、これもたくさんの人の協力があってこそなのですが。
こうした私と集団力学、グループダイナミックスとのかかわりをお話し出きればと思います。
最後にもし関西学院に来ていなければ、どうなっていたか・・。
私は九州大学の教育学部に入ろうと思いましたのは、高等学校時代まだかっての旧制高校じだいのバンカラスタイルがあって。かっての旧制高校へのあこがれというものが私には有りました。
自分たちの受けている633制の学校スタイルに疑問がありまして。それでそれを監督しているのは文部省だろうと、それで教育学部に行こうと。
当時アメリカの日本に対する政策がありまして、教育委員会も公選制でして、政治的色彩 が強かったりもしたのですが。昭和31年に改正されました。私の大学三年の時です。また日教組の組織が文部省とことごとく対立していて、なにか文部省がやろうとしても日教組が反対反対で、なにも出来ない。
これでは文部省だからと言って、教育のスタイルが簡単にかえられるようではないなぁと大学時代思いました。そんなことから教育行政への私の夢はだんだんと薄れていったわけです。
→つづく
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