高槻教会にて船本牧師による
「古田惠理子さんを偲んで」の会 2001
人の生きぬいてきたあゆみ、それが途切れた時。まわりにいる人たちの悲しみははかりしれない。しかし、その間にはいり、共に悲しみ、時をおなじくする。それが人とひととのつながりであり、人間関係とよべるものではないだろうか。
古田晴彦さん(14期)の良き伴侶(1986年5月3日ランバス礼拝堂にてご結婚)、古田惠理子さんにはたくさん美味しい食事を食べさせていただいた。東京に出張があるときは、横浜の古田さん宅に泊めていただきごちそうになった。古田さんが横浜の女子校から、母校の関西学院の教師に代られてからも西宮浜のご自宅でごちそうになったのを想いだされる。
あの時は、白血病の寛解(かんかい)状態であったとお聞きした。新居で忙しそうにお料理をつくる姿を観た私は、この人がほんとうに病気なんだろうかとわが目を疑った。私は白血病映画のスタッフとして働いたことがある、その際医師から白血病について教えていただいた。日本の医療の中で、ドナーの問題。これは白血病だけでなく臓器移植もそうだ、数十年後「日本人にお金で臓器を買われたと言う人が出てくるだろう、それでほんとに良いのだろうか」と。
「そんなわけのわからん病気、うちには関係ないから」これは白血病映画のなかドナー検査をお願いする返事の台詞。これが日本の社会を象徴している、白血病は助かる病である、しかし人に理解のなさからドナーも増えず、放置されている。役所のやる不作為の事件事故と同じだ。たまたま病気になっただけ、病気になればその日からあなたも弱者なのだ。その人をほっておく社会など豊かな社会といえるのか。
たまたま自分がお金持ちなだけなのである、日本人はその事に気づいていない。たまたまの偶然のなせるわざなのだ。だから、いつなんどき自分が当事者になるかわからないのにその意識が希有である、明日は我が身なのに。
例えば1995年1月17日、私は住む場所を失ったホームレスである。海外メディアは被災者のことをホームレスと表現する。どこかに地震は必ず来るのだ、そのときたまたま自分の家族、家を失うことだってあるわけさ。そのとき、よりそうのが本当の人間関係というものだろう。
古田惠理子さん、安らかに。
2001年5月6日記@大阪高槻教会
追悼文 ●15期生 浅井かんちゃん
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