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関西学院大学佐々木ゼミニュースファイル





『「生と死の教育」の実践』清水書院2002年刊

今問いかけられている、生きる実感。
教師としての現場からの死を考える教育とは 2003



 ひとりプロジェクトXをやっている人がいます。佐々木ゼミ14期生で関西学院高等部の先生をしている古田晴彦さんです。学校で死を学び、生きることを考えようという「生と死の教育」を実践しています。彼の愛する奥さんは癌におかされ、癌の痛みと闘いながら、すこしでも幼い子どものためにと生きようとし、そして最期は淀川ホスピスで静かに天に召されました。ボクは彼の奥さんに美味しい手料理を何度もご馳走にもなりました。お料理好きの奥さんの元気な姿しか知らないボクは、なんとも不思議な気さえするのです。ほんとにこの世にいないのだろうかと。


 古田さんがそんな大切な奥さまとの関係をとおして死を考えるきっかけのためにと書いたテキストが清水書院から昨年末発刊されました。154ページ、1,500円。本の利益の全ては生と死を考える活動をされている団体に寄付されます。古田さん自身がその本について語ったコメントがありますのでご紹介します。


ーーーーーーーーーー 古田さんからのメール本文

  中世の欧州では、メメント・モリ(汝の死を覚えよ)と言う言葉が、修道院の挨拶でした。老人や病人、死にゆく人たちに敬意が払われていました。

 20世紀に入り、近代医学が進歩するにつれ、克服できる病気が増えました。しかしこれは、治療と延命中心の医学を発展させることとなりました。不治の病に関しては、「医学の敗北」とみなされ、死のタブー化が進みました。力強さと生産性が求められる中で、弱さ、老い、死という問題には目を向けられないような状況になってきたと言えるでしょう。仮想の死が溢れている中で、本当の死に接する機会は極端に減少しつつあります。家族や地域社会が持ち合わせていた「悲嘆のケア」の機能も弱体化しています。

 ひとり一人が「生と死」に関して、よく考えなけらばならない時代になっています。学校で「生と死の教育」が必要とされる理由です。学習指導要領のなかに、「生命の尊厳」「生命への畏敬」を教える項目はありますが、「死を学ぶ」「死を教える」と言う項目はまだありません。有限性をしっかりと見つめない限り、命の大切さは伝えられないと考えています。  拙著をとうして、交流の輪や新たな学びの機会がすこしでも広がることを期待しています。ーーーーーーーーーートメ



  古田さんからのメールで「この『「生と死の教育」 実践の現場から』と題してNHKラジオにインタビュー出演をすることが決まったそうです。もしご興味がある方は聞いてみてください。8月9日土曜日、早朝4時からNHKラジオ『深夜ラジオ便』の中の「こころの時代」コーナー(約45分)です。とんでもない時間ですけれど、58年前、ソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦、長崎に原爆が投下された日でもあります。まさに、「避けられる死」で大勢の人が亡くなったわけで」 文責福田まこと
2003年8月6日広島原爆の日データアップ

 




   
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