関西学院大学佐々木ゼミニュースファイル









 いじめがクローズアップされるたびにおもう。いじめ反対を言う人に限って「やれ教育のシステムがうんぬ んだ」の、「今の教師がどうのこうの」。当事者の教師は「いじめは認識していない」と他人事のように何かの原因を作り上げ、他人に責任転嫁しておしまい。


「それっておかしくない?」といじめを苦にしてて死んでいった人たちと同世代はおもうのだろう。人ひとりの命は大切だ、宝だと言っていた人が、ひとり死んでいった人にたいする尊厳を無視して、認識していたしていないなど些細な問題や教育のシステムが悪い、、なんておかしいだろうと。人ひとりの命をなんだとおもっているのかと。


  自分で命を断つまでに追いやった張本人たちは、どうしてる? おとがめ無しか、そんなものを見せられたら、そりゃいじめを周りでみていた者たちも「やっぱり」と諦めるだろう。チーム、同窓、学校の集団というのは、全体でその責任を負わなければならないはずなのに、不祥事があっても私の権利や地位 権力は残しておきたいので試合に出ます、みたいな行為はおかしい。


  力をもつ強い者だけが生かされる世の中というのは、残酷でみじめなものだ。そしてそれを周りで観察している力を持たないものたちは、自分がターゲットにならないようにびくびく我慢するくらいしか手段を持たない。電気というエネルギーを私物化して、電気を切るぞとおどす節電とも同じだ。教育のシステムが悪い、と言う前にそんな社会のシステム自体がおおきく間違っているのだ。リーダーたちはそれを変えようとする気概はないのだろうか。幻想のつくられた『絶対安全安心』みたいなお札主義的な、この国の空気が大問題なのだろう。


『KY』といういじめ言葉がその事実を端的に表しているではないか。この国は空気Kuki .が大切なのである。そんな空気は人ひとりひとりの心の持ちようでいかようにも変わるのに。空気というのは、あくまでも人の頭にはびこる幻想でしかない。しかし空気を読めないYomenai.人が、理由もなくいじめられるのだ。おかしな社会である。これは学校だけに限ったことではなく、会社と言う中身もそう変わりはないのだ。空気だけで動く世の中というのは、危うい。


  システムが悪いとその組織を変えたとしても、また問題は起る。完璧な問題解決法などこの世には存在しないから。だからと言って、放置しておくのでは駄 目だ。変えていかなければいけない事は数多くある。そのひとつが、学校の現場で取り上げてこられなかった「死」や「幸せ」といった主題だ。このことを教育現場で積極的にまじめに取り入れていこうとする古田さんの考え方は素晴らしいとおもう。

『リセット』でゲーム上で生き返る主人公はおかしい、と言っておきながら、実際にはリセットのきかない死へと追いやられているひとりの命がある。その子の苦悩をやわらげ、自暴自棄にならないように救うことを考える。人はどんなに悲惨な状況でも美意識をもって、日本風に言うと「徳をもって」、誠実に生きたいと願うのがふつうだ。他人様を殺してぶんどり、そして豊かな幸せがあるなんて考えないのがふつうなのだ。


  ならば人が持っている本来の姿を、どんな時にも発揮できるように、若いときから教えられる教育は善いことだろう。避けられない死もあるが、避けられる死であれば、そんな状況の人を救ってあげたいとおもうのが本来の隣人の姿ではないか。そしてそれこそが『社会』という集団なのだから。『癒し』と言う言葉が流行ることじだい、それがなされていないのだ。


「他人でもなく、本人でもなく、傷をおった人に寄り添い、共に癒されてゆく関係を模索すべきなのだ」と古田さんは言う。自分の身の上にもありえる事なのだ、と親身に考え、ただ友の笑顔を取り戻させるためにはどうすればよいか。善い手段はないかを友に代わり考えてあげる。

 あまりにもドライになりすぎている今の日本の社会を観ていると、悲しくなるのが現実だ。ただ悲観的にネガティブに「死」を考えると、見誤る。ドライにならず、しかも悲観的にならず、満たされた気持ちになれるように、自らの頭で考え思考する。こうした教育がなぜ今までなされてこなかったのだろう。しかし教育の現場でこうして、なんとかしようと奮闘しておられる同窓も存在する。共に実験をし、遊んでいた友の行動になんだか誇りが持て、嬉しくなるのだ。文責.まこと


●佐々木ゼミのみなさんも一度お読みください。

高校生のための「いのち」の授業 古田晴彦著
祥伝社黄金文庫¥ 600

上智大学名誉教授 アルフォンス・デーケンさんの本に寄せたことば
 


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