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1994年記

1995年阪神淡路大震災で奥村旅館崩壊、
それでも人は生きていく

第二部奥村ゆたかリーダーシップ論


  奥村旅館の宿泊者名簿をご覧になったことがありますか。そこにはなんと女性の名前も数多く。そして平野さん、中山さん、福田などは365日以上、つまり1年間以上奥村旅館に入り浸り状態のころがあったという事実。ありがとうございます。


  奥村旅館のいいところは、門限なし、飲み放題、ビデオ観放題、本読み放題、台所で好きなもの作って食べて良し、いごこち満点なのです。「カップルで宿泊の方もいらっしゃいます。」と主。しかし、どうしてこんなに人をひきつけるのでしょうか?そのひとつの理由に旅館業を営む者としてのサービス精神と、なんといってもどんなお客さまにも対応できるたぐいまれな能力だと思います。


  ボクもクラブKGBや会社の同僚とおとづれ、泊めていただく。そしてあとで「あの奥村さんってなにもの?ただもんじゃあないですねぇ」って驚かれる。女の子とふたりであの部屋を訪れても「なんら違和感なくとけ込める雰囲気」と。奥村さんが仕事が残っているときは、部屋をボクたちにまかせて仕事されてる。これ人を信頼してないとできない。悪い奴がいて、お宝ビデオや本を持っていくかもしれない。そんな心配なんてしていない。来るものは拒まず、だれだれの友だちだったら安心と。このアイドルゆたかさんの懐のふかさには驚かされる。


  それにアイドルゆたかさんが荒れたところをだれもみたことがない。大好きな彼女にふられて奥村旅館の高いワインをラッパ飲みしてトイレで寝てたり、新地に借金をつくるほど強くもない酒を飲みそのあと奥村旅館でクダをまいたり、男ならそんなことひとつくらいあるちょこっと恥ずかしいことを奥村さんがしたってこと聞いたことがない。ということは奥村豊はおんなの子にふられたことがない?そんなバナナ。ジョンさん情報では、ひとり映画館で泣いていたという話しが。プライベートな時間も、オープンにされているゆたかさん。しかしよほどメンタル面 での自己コントロールがうまいのでしょう。ご本人曰く「食べて飲んで忘れる」そうですが。「さすがB型」なんて言う人もいます。


  興味あることが有ります。それはほかの佐々木ゼミ生がどんな話しをアイドルゆたかさんとしていたのか?ということです。人は集めるのに、伴侶は集まらない?アイドルゆえの悩みの話しはなかったのか。


「ゴールデンウィーク、ってヒマやん。奥村さんコンパせえへんの」なんてすぐ言われてしまいコンパを企画する奥村さん。ボクがしなくてはいけないという使命感に萌え、リーダー湿布を発揮。その日から毎晩ゼミ生に電話をかけては、集めてしまう人力。おかげで手は腱鞘炎。あの伝説ともいまやなった「マジカルミステリーツアー」のすごさは、幸運にも参加した人にしかわからない凝縮の2日間。これがきっかけで結婚までしてもた人たちもいる驚愕の事実。足を奥村さんに向けて寝られません。だってアイドルゆたかさんもボクも、、、と思っていたにちがいない。幸せな佐々木ゼミ生は、そのリーダーシップをとっていたアイドルゆたかさんの存在をわすれがちなのがいけません。


  そんな楽しいマジカルの写真をみんなにくばったりする。カメラマンたるプロの目で自分がとられる写 真なんて、そう簡単にはないんです。しかし、悲しいかなアイドルゆたかさんが写 真をくばっても、お好み焼き屋さんのアイドルサイン色紙みたいな軽いモノに見られがちです。 写真のお礼のことでアイドルゆたかさんと、すぐにカッカする福田は討論したことがあります。「お礼状のひとつもキスマーク入りで書くユーモアがないかねぇ。おだてりゃぶたでも樹に登るのに」「そんなこと言わなくてもいい。ボクの勝手やから」と。


「ぼく近畿大学の仕事で、チアとアメフトの連中に写真をあげたんです。そしたら丁寧な礼状が来て。で、アメフトの男はええんですけど、チアのかわいい子が『今年はグラウンドでもお見かけしませんが、、、』と。思わずカメラ抱えてアメフトの試合観に行きましたよ。そんなもんちゃいます人間って。ほんのささいなことで涙ながすほど感激して大喜びしたり、怒ったりする」「まぁ認められるということは人間の喜びやもんねぇ。気に留めてますよって。で、そのチアの女の子とどうなったん?」「いやぁ、手紙書いてくれた子がどの子かようわからんのです」「あかんわぁ。それやったらボクとおんなじになるで。この子って、写 真渡さんと。プリントしてあげてもムダやったね、ちゃんちゃん」


  そうなんです、アイドルゆたかさんは今まで意中の人がいても、その人にだけ超特大プリントして写 真をプレゼントするなんてことできない人だったのです。「写真の中に恋文とか入れとき」とある人に言われたことがあるそうですが、それもなかったそうです。ひとりひとりと対等に関係を保つもんだから、特定のひとりをえこひいきできない性分。月見草に見守られて小学校の先生にでもなったらよかったキャラです。



  しかし、助け舟を出した人がいるのです。それはアイドルゆたかさんの少年時代からの同級生であり、親友でもある平野さんとサリーさん、そしてかわいいあっちゃんときれいなサッちゃん一家。平野さんこそ、実は佐々木ゼミにアイドル奥村豊をデビューさせた辣腕プロデューサーです。そのサリーさんの親友の妹さんで、北海道ですくすくと育ち、少々の細かいことではおどろかない?!千春さんを、自然に紹介。「平野家に遊びに行っていて、北海道の彼女が来て、うまがあった」「いや北海道はうまが居るんです」「少々のことには動じないのもステキで」「それってあのビデオと本の山みてあきれ果 て、捨てられるはずがないと」「山は動きますよ、なげられますってビデオ」っていってたら、ほんとに六甲山が動いてもた。


  「友が幸せをはこんでくる」とよく言いますが、あぁ、ここにみる友情のありがたさ。その通 りになった奥村豊さん。「千春さんはきっとミーハーなんだ。アイドル奥村豊の魅力に気がついた」「いいねぇ、あんこうの生活と呼ばれていた独身時代とこれでおさらば」「あんこうの日日を明るくてらしてくれる、千春さんに乾杯」とか言いながら奥村旅館でまたもや祝杯をあげた懲りない面 々でした。


「ボクだけになってもたあんこうの日日は」と高田くん。「ボクも友達大切にせなあかんなぁ。かんちゃん、なんか困ったことないか」「まこさん自分のこと心配されたほうがええんとちゃいますか」とか言いながらくれてゆく1994年12月年の瀬記。


追記 1995年2月29日に結婚式をあげる予定が、1995年1月17日地面 が割れてもて、延期。とんでもないことが起こりましたが、ふたりの愛はつぶれませんでしたとさ。

1995年夏、アイドルゆたかさんは千春さんの生れ故郷北海道を旅することに。いつも撮ってばかりでは申し訳ないカメラマン役には高田こうじ、笑わせ盛り上げ隊に浅井かんちゃん、運転手役にはふくだまこと、阪口さんからもらったアウディが参加。北の国新婚旅行最終日、千春さんの思いでの町故郷夕張へ。

「光枝、千春さんはここの夕張のご出身。これから夕張小学校へ行かれる。お父さんは小学校の先生だったそうだ」

「まぁ、そうなんですか。私たちにもねぇ、子どもがいたらあの小学校だったのにねぇ。千春さんのお父さんに教えていただいてたのかしらねぇ」

「そうだなぁ」そう言ったあと、高倉健さんはなぜかだまってしまった。

『幸せの黄色いハンカチ』(1977年)は、1970年代カニ族と呼ばれる背負子をせおった大学生であふれた頃の北海道を舞台にしたお話。網走から夕張までのロードムービーだ。奥村千春さんのいた昭和40年代の夕張は黒いダイヤのおかげで、それはそれは人であふれていたらしい。

1995年奥村ゆたか&千春さん、新婚旅行第二弾北の国ツアーで訪れた夕張は、ひっそりとした町だった。ただ黄色いハンカチが風にゆれていたのには感動したけれど。いまでもまだ、あの黄色いハンカチはありますか、、


 
 

 


ナンでもネタにしてコンパします、
アイドルゆたかさん

マジカルは、たくさんの物語を生みました

「おもしろい時間はアイドルゆたかさんが運んできてくれる 」
@ マジカル花火大会

1993年GWコンパ主催奥村豊@お初天


「ついにやりました奥村豊タッチダウンです」
近畿大学チア@西宮球場






「しあわせは友が運んできてくれる」平野ファミリー



アイドルゆたかさん、千春さん北の国へ新婚旅行 @網走番外地
福田、かんちゃん、千春さん、高田くん





強運の最強メンバー楽しい写 真はマル秘奥村アルバムで



北の果て、宗谷岬にてかんちゃんと待ちあわせ





大雪山ふもとのゆわんと村にて、旅立ちの朝です



北の国から、新婚さんいらっしゃ〜い
@富良野ラベンダー畑


『千春さんと奥村さんの新婚旅行北海道編』@高倉健さんのお宅にて 撮影・かんちゃん



©Paradiso co.,ltd.2009  大切な佐々木ゼミの歴史です、取り扱いにはご注意を。無断転載を禁じます。 2010年4月5日